一緒に海を眺めるという気の利いたセックス

最近古い家に移った。それはそれは古い家で、素人目には築100年くらいに見える。

虫食いがあったり、ちょっと傾いていたり問題はあるが古いもの好きの僕としては満足度がとっても高い。25歳と古民家っていうのは案外マッチするのかもしれない。

ここ1ヶ月で僕はある種の悟りを開いたような気がする。ヨガをしたり釣りをしたり村上春樹の小説を読んだりする中で、僕の中の何かが変わっていった。初めてのヨガで指先に大地を感じたのは、その予兆だったのかもしれない。その悟りとはセックスについてだ。世の中の大多数の人たちは合体することをセックスという。何かにつけて合体、すきあらば合体。そういう世の中だ。いろんな意味で現代は戦国乱世なんだ。でも今の僕は合体だけがセックスじゃないと思っている。良い時間を共有することがセックスなんだと僕は考えるようになった。二人並んで海を眺めたり、歌を歌ったりすることだって言ってみればセックスなんだと思う。「どうせカラダが目当てでしょ」という玉谷晶先生のエッセイでも書いてあった。この本を読んで以来、僕は社会に対して気になることが増えてしまった。

結婚式なんてまさにそうだ。今まで参加してきた結婚披露宴の新郎新婦の上司のスピーチなんかを思い出して、だんだん腹が立ってきた。

「二人の間にぜひ可愛い子供をもうけてもらって、幸せな家庭を作ってくれることを願っています」

しかもこれは結婚式に限らずよく聞く言葉だ。時代錯誤も甚だしい。まるで子供をヨイショとこさえることこそが幸せに繋がるのだぞというように聞こえてしまう。ゲイカップルだっているわけさ。どんな形でも幸せかどうかなんて、当人たちが決めることだ。新しい価値観のスピーチがこれからは求められるだろう。もしくは、スピーチは必要ないと誰かが気づくかもしれない。

子供を持っていない人が、持っている人よりも精神的に劣っているかのようにいう風潮にも腹が立っちゃう。子供がいなくても人間的に素晴らしい人はたくさんいる。逆に子供がいるのに残念な人だっているじゃないか。

「あの人結婚していないのよ、可哀想よね」「あの人子供いないんだって、可哀想ね」

「あの人の年齢で結婚していないのは、どこか問題があるのよ」

こんな風な発言をよく耳にする。こんなことをいう人に会うと、結婚して子供を育てても、ろくすっぽ成長しない人もいるんだとよく分かる。というような意見を誰かに熱く語ったって、それはそれで価値観の強要みたいなものになってしまう。意見を言うときは、僕はする気はないけど「謙虚に話す」がコツかもしれないな。

というわけで、古民家生活が始まりましたという話でした!

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