煽り運転に愛を

僕が一台の車に道を譲ったのが全ての始まりだった。

後ろの車が急に僕の車に向かって煽り運転をし始めたのだ。銀色のトヨタのアリオンでヤング寄りの男性シルバーが乗っている。おそらくシルバーより先に車を入れたのが気に入らなかったのだと思うが、真意のほどは定かではない。それにしても前の車が道を譲ったのが気に入らないからキレるというのあまりに沸点が低すぎる。元素で言うと-268度で沸騰するヘリウムみたいな男だ。

ここは電車を例に考えてみよう。混雑した電車内、僕が近くにいた妊婦さんに席を譲る。「どうぞ」とかなり紳士的でかっこいい。妊婦さんの横に立っていたヤング寄りの男性シルバーは、わしも座りたかったとキレて僕の胸ぐらに掴みかかってくる。と、こんな感じだろう。

話を戻そう。僕はシルバーに苛烈に煽られた。今回僕はいくつか方法で煽られた。シルバーの煽りの引き出しの多いこと多いこと。伊達に年を取っていない。まずは「スレスレ煽り」。ぶつかっているのではないかというくらいに近い距離で車をコントロールしてくる。巧みなアクセルコントロールに舌を巻くしかなかった。続いて「蛇行煽り」だ。シルバーは俺は蛇だ、アイアムスネークだとばかりに蛇行運転で煽ってくる。僕はカエルのように逃げた。最後に「抜かすと思いきや並走して元に戻る煽り」だ。僕はシルバーに抜かしてもらうべく、スピードを落とした。するとシルバーは僕に並走して、こちらに向かって何かを叫んだ。しかし聞こえない。なんて言っているのだろうか、意外と格言みたいなのを言ってくれてたりして。そして並走した後は、僕を抜かさず後ろに戻っていった。新しい煽り方だなと思った。僕はこの一連の煽りの中にたしかにワイルドスピードを感じた。彼の心はシルバーではなく、ドミニクなのかもしれない。ずっと僕に公道レースを仕掛けてきていただけなのかもしれない。

僕が道を変えてもずっと付いてくるので、僕はこちらから何か仕掛けるしかないなと考えた。しかし僕はシルバーのような運転スキルも沸点の低い頭も持っていない。そこで浮かんだのが、ガンジーやアウンサンスーチーだった。平和的解決のパイオニア達だ。丸メガネ男子の先駆け、ガンジーは言った。「速度を上げるばかりが、人生ではない」「非暴力は暴力よりも無限に優れているし、許すことは処罰するより遥かに男らしい」これってもしかすると、煽り運転に対するメッセージなのかもしれない。

少し悩んだ僕は思い切って白旗を上げることにした。車内を見回すが、白いものは何もない。助手席に黄色い洗車タオルがあった。まさにこれだと思った。僕は運転席のウィンドウを開き、右手で外にたなびかせた。バタバタと揺れる幸せの黄色いタオルで降伏を宣言。おおよそ5秒くらいだったように思う。争いが生むのは争いだけだ。

そしてシルバーの煽りがさらに激しくなった。

市内の警察署の敷地に逃げ込むまでの約10キロ、シルバーは僕を延々と煽りつづけた。幸せの黄色いハンカチでは、最後にハンカチをたなびかせてなんとなくハッピーエンドだったはずだ。やっぱり映画はあてにならねえなと思った。少しがっかりはしたものの、久しぶりにスリリングな経験で楽しかった。ガンジーやアウンサンスーチーには悪いが、あのクソジジイ死ねばいいのになと思ってしまった。僕に丸メガネをかける資格はないのかもしれない。

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